こんにちは、ヒロタカです。僕は、自分がひとりが好きな人間です。
会社の昼休みはひとりで外食をしていますし、
たまにひとりで飲みたいときには、居酒屋でひとり飲みをしたりもします。
休日のカラオケや美術館などもひとりで楽しめます。
もちろん、たまには友達と食事に行ったり外で遊んだりもします。
気の置けない友人との会話はとても楽しく大事な時間です。
それと同じくらいに、ひとりで本を読みながらゆっくりとお酒を飲む事、
ひとりで川沿いを散歩したりする事も自分にとって大事な時間です。
そんなひとりの時間を、小説家の森博嗣先生の著作「孤独の価値」では、
文化が成熟した今だからこそ感じられる”贅沢な孤独”だと説明している。
・ひとりで生きられる時代になった
大昔はみんなで協力し合わなければ生きていけなかった。
例えば、狩猟は複数の男たちが力を合わせて獲物を狩る。
農業も同じで草刈り、種まき、収穫と
周囲と協力しながらでなければ作物を作れなかった。
そういう強調社会で僕たちは生きていた。
だからこそ、みんなと仲良くなれる、協調できる「良い子」が望まれて、
一匹狼的な個人主義者は嫌われてきた。
しかし、孤独であることは、このような協調社会を拒絶することではない。つまり、他者との共存を否定する意図で、孤独になるのではない。たとえ孤独であっても、他者のため、社会のために役立つことは出来る。また、孤独であっても、社会の恩恵を受けることもできる。
森氏は、もはやそういう社会ではなくなってきたと説明する。
社会が発展してきて、つねに人と”群れる”必要がなくなってきた。
それだけ社会が発展してきて、個人の自由をゆるす仕組みが出来上がっている。
昔は世の中は危険だった。
野生動物や野党に襲われる危険、地震や洪水被害にあう危険、病気になてしまう危険。
昔の人がそういった危険から逃れるためには、群れるしかなかった。
でも、いまはそうではない。
社会が発展して、群れていなくてもそういった危険から回避できるようになった。
それは人間が協力して文明を作り上げてきたからだ。
群れなければ生きていけなかった社会から、
群れねくても生きていける社会になった。
これは人間社会が成熟した結果だと森氏は言う。
・人は発展とともに孤独になっていった。
事実として、社会の発展とともに人間は孤独化してきた。
大昔は洞穴で共同生活をしていたが、そのうち家族ごとに住むようになった。
近年では核家族化(両親+未婚の子ども)というように
共同生活の単位は時代とともに少数になっていく。
最近だと、結婚しない男女が増えてきているというニュースもあるが、
それも社会の発展と考えれば理解できる。
人間は無意識に孤独、つまり自由を求めている。
・植え付けられた「寂しさ=悪」
みんなと同じことをしなければならない。学校へ行ったら、一人でも多くの友達を作らなければならない。力を合わせみんなで成し遂げることは美しい。感動とはみんなで一緒に作るものだ。それが、現代の「良い子」たちである。
ただ、一方で人間は社会的な生き物だ。
他人の目に、自分がどう映るのかを気にする。
学校という集団生活では、協調性のある生徒が評価される。
我々は、長いと20年以上もそういった価値観の中で評価され続ける。
ドラマやアニメはつながり=良いもの、美しいものと評価する。
幼少期からそういう価値観を植え付けられてきた我々は、
無意識に孤独を忌避するようになる。
・これからは「孤独」を愛する社会に
孤独からはたくさんのものが生まれる。
芸術や文化、様々な科学技術もそうだ。
協力の中でこれらのものが生まれることはあっても協調の中で生まれることは無い。
なぜなら、協調とはある現状維持だからだ。
だからいまを逸脱するものを生むことはない。
社会にAIや機械が導入されると、
そういった協調の仕事はすべて機械にとって代わられることになる。
その場合、我々人間が行う仕事はもっぱら何かを生み出す仕事になる。
その時に人は価値観が変化するのを受け入れるようになる。
自分の無意識の要望を意識するようになる。
孤独を愛するようになる。
なぜなら孤独こそが創造の母だからだ。
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