こんにちは、ヒロタカです。あなたはお金で幸せを買うことができると思いますか。
お金で幸せは買えないとの主張はよく聞きます。
暮らしを快適にはしてくれますが、幸せはまた別という考え方です。
しかしながら、ケンブリッジ大学の研究では「幸せはお金で買える」との結果が出たそうです。
上記の記事では、自分の性質にあったお金の使い方をすると幸福度が上昇するという結果が出ています。
たとえば外交的な人の場合、友人と食事に出かけたり旅行に行ったりすることにお金を使うと幸福を感じる一方で、ジムに入会して身体を鍛えるなどにお金を使った場合は旅行ほどは幸福を感じない。内向的な人は逆に集団で旅行することはひとり静かにレコードを聴くことよりも幸福にはならないでしょう。要はお金を持っているだけでは幸せになれず、自分(の身の丈)に合うお金の使い方をすればお金で幸せが手に入るようです。
僕もお金である程度の幸せを買うことは出来ると思います。住むところがあり、清潔で食べるものにも困らないというのは、とても幸福なことだと思います。
一方で、お金で全ての幸せが手に入るというのもちょっと不思議な気がします。それで、ちょっと幸せについて(半分ぐらい)本気出して考えてみました。僕が出した結論としては、そこそこの幸せはお金で買うことができる。しかし、ある一定以上の幸せを求めた場合はお金で手に入れることは出来なくなるです。
お金で「買える」幸せ
お金で買える幸せ、簡単なイメージですと、豪邸、高級な衣類、有名レストランの料理などでしょうか。また、お金があるというのはひとつのステータスでもあるので美しい恋人と巡り合うこともあるかもしれません。
これらの幸せは、大多数の人間が想像できる幸せです。豪邸やおいしいの食事などは、一般的な価値に照らし合わせても間違いなく幸せといえるものでしょう。大多数が価値を認めることで市場が生まれます。市場が生まれるとその「幸せのモノ」に値段が付きます。値段がつくことで、それはお金に替えることが出来るようになります。
皆が一般妥当に幸せだと考えることが出来る、値段を付けられる幸せは、お金で買うことが出来るのです。
お金で「買えない」幸せ
お金で買えない幸せ、それは何でしょう。よく言われるのが「曇りのない友情」などでしょうか。(TABI LABOさんより)
ただ、こういったものも極論すれば買うことが出来ます。ビジネスパートナーなど、金銭関係がありながらも真の友情を気づくことは可能でしょう。投資家と事業化が事業を通じて築いた友情は真の友情に値するでしょう。
そうではなく、お金で買えない幸せとは、一般的に幸せかどうか判断出来なず、市場が形成されていない幸せのことだと僕は思います。
ある一定までの幸せは全ての人が幸せだと理解できるのでその価値を測ることが出来ます。ただ、それ以上を求めていくと段々とその理解できる人間が少なくなっていきます。そうすると段々とその価値を測ることが出来ず、価値を測る市場がなくなります。そうすると値段を付けられなくなります。つまり、お金で買うことが出来なくなってしまうのです。
一定以上の幸せを求めると、それは大体にしてパーソナルなものが多い気がします。その結果、その価値を分かる人がいなくなりそのモノ(ないしはコト)を提供する存在がいなくなります。需要があっても供給がなくなるのです。
本当の幸せとは
ある程度の幸せまでは、多数がその価値を理解するために、値段が付けられてお金で買うことが出来る。一方でそれ以上の幸せになると、その価値が分かるの人が段々と減っていき、ついにはあなたひとりだけになってしまう。その幸せを理解する存在がいなくなると値段が付けられなくなり、供給がゼロになってしまいます。そうするとお金で買うことができなくなる。
すなおに自分の幸せを求め続けるとお金で買えないところまで行き着きます。ただ、そこまで本当の幸せというものをひたむきに求める人がどこまでいるのかは疑わしいものだと僕は思います。
本気出して考えた幸せが本当に幸せなのかは当人にしかわかりませんし、少なくとも周りの人はそれを幸せだと理解してくれることはないでしょう。
中くらいの幸せはお金で買える (単行本) |
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